USO800

Web開発者oakbowのブログです

OSSのコントリビュータになりました

タイトルの通り、コントリビュータになりました。


contributorの意味 - 英和辞典 Weblio辞書

 


hadoop - contributor って何ですか? どうやったらなれますか? - Qiita

 

OSSへの貢献の仕方はいろいろあるようですが、分かりやすいのはやはり何らかのコードの修正をするやり方だと思います。

非常に小さなものですが、先日修正したコードのプルリクエストが取り込まれ、コントリビュータになることができました。

せっかくなのでその修正の経緯などを記事にしたいと思います。

 

対象のOSSプロジェクト

今回私がコントリビュータになったのは、Rails のgemである rails-footnotes です。

RailsでのWebアプリ開発の非常に強力な武器となるデバックツールで、個人的には better-errors(+binding-caller)の次くらいに手放せないツールになっています。

基本的にdevelopmentやstaging環境でしか使用しないgemですが、Webページの最下部にデバッグに役立つ各種情報を表示してくれます。

gemの利用面での詳細はQiitaに記事を書きましたので、こちらもご覧ください。


Rails4 - Rails Footnotes でWebアプリを快適開発 - Qiita

 

例外が発生

現在関わっているプロジェクトでは以前から rails-footnotes が使われていて、バージョンアップ作業を行っていました。

以前のバージョンで機能していたイニシャライザをそのまま使うと DEPRECATION WARNING が発生していたので、最新バージョンの 4.1.4 が生成してくれるイニシャライザに刷新。

コメントアウト状態で設定項目が記述されていたので、軽い気持ちでnoteと呼ばれるフッタに表示する項目の設定を有効化して動作させてみました。修正箇所はここ。

  # Only toggle some notes :
  f.notes = [:session, :cookies, :params, :filters, :routes, :env, :queries, :log, :general]

単にコメントアウトを解除しただけです。元は rails-footnotesが生成しているイニシャライザな訳ですから、設定を有効にしても基本的にちゃんと動作するはず...なのに例外発生。

Footnotes General Exception: uninitialized constant Footnotes::Notes::GeneralNote

なぜだー!ってことで調査開始です。

例外の発生源の調査

スタックトレースから原因を特定することにしました。 出力されているログはこんな感じ。

Footnotes General Exception: uninitialized constant Footnotes::Notes::GeneralNote
/activesupport-4.1.8/lib/active_support/inflector/methods.rb:240:in `const_get'
/activesupport-4.1.8/lib/active_support/inflector/methods.rb:240:in `block in constantize'
/activesupport-4.1.8/lib/active_support/inflector/methods.rb:236:in `each'
/activesupport-4.1.8/lib/active_support/inflector/methods.rb:236:in `inject'
/activesupport-4.1.8/lib/active_support/inflector/methods.rb:236:in `constantize'
/activesupport-4.1.8/lib/active_support/core_ext/string/inflections.rb:66:in `constantize'
/rails-footnotes-4.1.4/lib/rails-footnotes/filter.rb:37:in `block in start!'
/rails-footnotes-4.1.4/lib/rails-footnotes/each_with_rescue.rb:15:in `block in each_with_rescue'
/rails-footnotes-4.1.4/lib/rails-footnotes/each_with_rescue.rb:13:in `each'
/rails-footnotes-4.1.4/lib/rails-footnotes/each_with_rescue.rb:13:in `each_with_rescue'
/rails-footnotes-4.1.4/lib/rails-footnotes/filter.rb:36:in `start!'
/rails-footnotes-4.1.4/lib/rails-footnotes/extension.rb:15:in `rails_footnotes_before_filter'
   :

active_support 側に問題があるのではなく、想定外の値が rails-footnotes やそれ以前から吐き出されていることが原因と見て、filter.rbから見ていくことにします。 周辺のソースはこうなっています。

def start!(controller)
  self.each_with_rescue(Footnotes.before_hooks) {|hook| hook.call(controller, self)}

  @@klasses = []
  self.each_with_rescue(@@notes.flatten) do |note|
   klass = "Footnotes::Notes::#{note.to_s.camelize}Note".constantize # ←37行目!
   klass.start!(controller) if klass.respond_to?(:start!)
   @@klasses << klass
   end
end

見るからに怪しいですね。 見た感じ notegeneral という文字列が入っていることで、37行目で以下のような処理が実行されているようです。

klass = "Footnotes::Notes::GeneralNote".constantize

例外の内容を見るに、やはりここが直接的な引き金になっているようです。

そもそも note って何?ってのを知っていると解決が早いんですが、これは rails-footenots が提供するデバッグ情報の分類です。 私は良く理解できていなかったので、 note に何が入っているのか知るために、古典的なデバッグライトを使いました。 要するに pp note って記述を36行目に追加したんですね。 gemの中身のソースを修正したのでサーバを再起動して、再び例外を発生させます。 するとこんな文字列がログに出力されるようになりました。先ほどのコードの37行目に渡される note の変数の中身の一覧です。

controller
view
layout
partials
stylesheets
javascripts
assigns
session
cookies
params
filters
routes
env
queries
log
general

これは結構大きなヒント。 gemのファイルをあちこち漁っていて気づいたんですが、これらの文字列に対応するファイル群が /lib/rails-footnotes/notes/ に存在します。 controller_note.rb とか log_note.rb とか諸々。でも general_note.rb はありません。 whyなぜ?

公式に戻る

generalgrep をかけても芳しい情報は得られず、どうやら general_note.rb がないことが影響しているらしいことしか分かりません。 こういう時は公式です。こちらで general で検索してみると...、あった、ありました!

== Footnotes v4.0.0
  :
  * Remove 'general' note

rails-footnotes/CHANGELOG at 5479be18602ec4796a87fde4953dedc1970b2061 · josevalim/rails-footnotes · GitHub

GeneralNote 消されとるやんけ!そら無いもの指定したら例外吐くわ!! 思わずえせ関西弁で突っ込みたくなる結果です。 ってことは、無いもの指定していた設定ファイルである、 /config/initializers/rails-footnotes.rb が悪いということに。 この設定ファイルは公式の推奨通りのコマンドを打つと生成されるようになっていて、テンプレートファイルが lib/generators/templates/rails_footnotes.rb にあります。

  # Only toggle some notes :
  # f.notes = [:session, :cookies, :params, :filters, :routes, :env, :queries, :log, :general]

gem を generalgrep しまくっていたので存在には気づいていたんですが、この配列末尾の :general があるのがいけなかったんですね。 実際に使っているイニシャライザ側でこの記述を削除したところ、例外が発生すること無く正常に動作することを確認できました。 めでたしめでたし。

プルリクエストを送る

問題は解決しているんですが、同様の問題で苦しむ方がもしかしたらいるかもしれません。 本来であれば GeneralNote を機能的に削除した際に、このテンプレートから :general の記述を削除するべきだった訳ですから、gem のバグといっても良いでしょう。 バグは修正されるべきなので、プルリクエスト(以下PR)を送ってみることにしました。

PRを簡潔に説明したサイトをうまく見つけられませんが、要約すると「俺様がやったこの素敵改修を見てくれ。気に入ったら取り込んでね?」って機能です。 git ではなく github の機能で、bitbucket などでも使えます。 PRが送られると送り主のコメントの他、修正箇所のコードの差分が視覚的に分かりやすく表示され、素敵改修の中身をチェックすることが出来ます。 コードの行単位でコメントをし合えるので、「このコードどういう意味?」「ここってこうした方がいいんじゃない?」という風にコードレビューを物理的に離れた人同士で行える、とても強力な機能です。

PRは github や bitbucket をチーム開発で採用していれば普通に使う機能なので、これ自体には慣れていました。 とはいえ、OSS でやるのははじめて。ドッキドキです。 git の commit コメントを書く段階から、これ通じるかなー大丈夫かなーと汗かきながらがんばりました。 その結果がこれ。

fix Footnotes General Exception, because general note was removed. by oakbow · Pull Request #126 · josevalim/rails-footnotes · GitHub

f:id:oakbow:20150222175346p:plain

やったー!! 無事マージしてもらえました。 次のバージョンで反映されるそうです。

修正内容的にコミッターにはすぐそれと分かる内容だったでしょうから、特に議論などもなくマージされています。 そうなるだろうとは思ってましたが、心配で1時間に1回くらいリロードしてたのは秘密です。

gem のソースを追うやり方やデバッグのやり方は、正直もう少し効率の良いやり方がある気がします。 ソースを見るのは普段使っている RubyMine が便利なのでそれはいいとして、デバッグライトはなあ。。 ブレークポイントうまく使えればいいんですが、そのうち調べてみようと思います。

英訳に当たっては、@kon_yuさん に助けていただきました。ありがとうございます(それでも英語がアレなのはもちろん私の問題です)。

健康保険の任意継続手続きをやりました

フリーランスになるにあたってはやはり諸手続きというものがあります。

今回は健康保険についてお話ししてみたいと思います。

 

2014年12月31日までは契約社員ながら社会保険に加入していました。

フリーランスになると国民健康保険国保)に加入する方が多いようですが、社会保険の任意継続を選ぶこともできます。

ただし任意継続は退職後20日以内に該当の社会保険事務所に申込み関連書類が必着なので、この点には注意する必要があります。間に合わないとそこで試合終了。休日とか個人的事情とかはどうやら一切無視。任意継続することができなくなり、国保に入るしかなくなります。

どちらにするか少々迷ったのですが、国保ではなく、任意継続の手続きをやってみました。

 

社会保険は企業の業界ごとに健康保険組合が存在します。私の場合は人材派遣健康保険組合。サイト上に情報が整理して提供されているので、あまり困ることはありませんでした。

任意継続被保険者制度について | 届出・申請書 | 人材派遣健康保険組合

必要書類のPDFが用意されており、記入例も同時に提供されていて、送付先も記述されており、電話番号まで併記されていて必要な情報はすべて分かりやすく提供されています。

私の場合、盲腸で入院していたので手続きを始めたのは1/13ごろ。締め切りの1/20まで一週間前だったわけでちょっと危なかったです。

送った申請書がきちんと受理されると、今度は振込依頼書が届きます。

来たのは1か月分×3枚ですが、納付期限を超過するとその時点でこれまたアウト。初回分の納付が遅れると任意継続してもらえなくなりますし、二回目以降も遅れると、任意継続の保険資格を失います。コンビニなどでも払えるので、真っ先に払いましょう。

初回分を支払った後、二日後くらいに先方で入金確認ができるようになり、確認でき次第保険証を簡易書留で随時発送する、という説明を受けました。

私の場合は1/14くらいに申請書を出し、振込依頼書が届いたのが1/19、即日初回分の納付をして保険証が届いたのが1/24のお昼でした。

手続きを始めてから保険証もらえるまで2週間くらいかかるとは聞いていたので、だいたいそのままな感じですね。

私の場合は盲腸で入院していたため保険をすぐに使用する必要があったのですが、電話でこちらの事情を説明したところ、親切にどういう申請書が必要か教えてくれました。

ひとつが限度額適用認定申請書(これは病院でも教えてくれました)。

医療費が高額になったとき | 届出・申請書 | 人材派遣健康保険組合

限度額適用認定証は昔の紙の保険証(年代限られる。。)と同サイズくらいの紙っきれで、保険証と同時に届きました。有効期限は1/1~12/31の一年間で、所得区分の記載があります。

所得区分に対応する自己負担限度額が定められているので、このア~オのカタカナが記載されているだけです。

医療費が高額になりそうなとき | 健康保険ガイド | 全国健康保険協会

 

もうひとつが、保険証が無くて全額負担で支払った診察費の払い戻しに必要な書類について。

医療費の払い戻しを受けたいとき | 届出・申請書 | 人材派遣健康保険組合

最初にかかった病院では、全額負担での精算後三日間以内に保険証を持って来れば払い戻しを行うと言われたんですが、まあ任意継続がそんなに早く済むわけもなく。

こういった場合は健康保険組合に書類を出せばお金が返ってくるんですね。それも2年間有効。

 

国保を選ぶか任意継続を選ぶかは双方のメリットデメリットを勘案して総合的に判断することになります。こういうところを参考にするといいかもしれません。

国保と任意継続、どっちが得? | 国民健康保険料の計算、国民健康保険と健康保険任意継続との比較など!

国保の場合、軽減措置が用意されていたりもするので、このあたりも確認した方が良いです。

失業者の国保保険料が大幅減額 | 国民健康保険のよくある質問

この軽減措置については任意継続の手続きを行っていた際も、書類の中にちらしが入っていて「国保の方も確認した?そっちがお得かもよ?」って感じで教えてくれてました。

国保については地域差もかなり大きいので、計算方法がサイト上で公開されている場合もあるものの、最終的にはお役所に聞いてみた方が良いと思います。

豊島区の場合はこんな感じで計算方法が公開されています。


保険料の決めかた│豊島区公式ホームページ

  

ちなみに私が任意継続を選んだ理由は

  • 任意継続を一度やってみたかった
  • あんまりやったって人の話を聞かない
  • 国保にはいつでも切り替えられるけど任意継続はそうじゃない
  • 話の種にできるかもしれない

ってあたりで、まあ割といい加減です。

 

任意継続の手続きをやっていて感じたのは、個人事業主をやる場合、何をやるにしても情報収集が大事ということです。

手続きさえやれば還付されたり減免されたりというものは世の中に多く存在するものの、自分で調べたり聞いたりしてみなければなかなか気づけないんですね。

たまにはサイトに書いてあることがすべてではなかったり、あくまで原則を書いているにとどめていることも多く、検索で得た情報のみがすべてと思い込むのも損をする可能性があり、電話窓口なり窓口の担当者がいるのであれば、どんどん聞いた方が良いな、と思いました。

退院のお知らせ(前)

年始から盲腸になってしまい、ついこの間の日曜日まで入院していました。

晴れて退院いたしましたので、ここに皆様にご報告したいと思います。

ご心配をおかけした皆様に於かれましては、ぜひ快気祝いなどにお誘いいただきたいと思います。

現在まだアルコールを摂取できませんが、1/21(水)の受診を経て酒解禁となる予定です。

何卒御高配の程宜しくお願い申し上げます。

 

以下は正直ただの日記ですので、これ以上読み進めても新たな知見などを得ることはできません。ご了承ください。

 

発症

1/2(金)の夜10時ごろ、コンビニ弁当食べて一息ついた10分後くらいにお腹が痛くなったんですね。

元々胃腸があまり強くなく、朝方にお腹ゴロゴロってのはよくあるんですが、この時のお腹の痛み方は子供の頃以来だなあとぼんやり考えてました。

痛み自体はそんなに大きくないんだけど、おもくおもーく、絶え間なくズウウウウウウウウウウウウウウウウウ…って感じで痛くて。

痛みはお腹の真ん中、おへその下、みぞおちのあたり。よく考えればここって胃じゃなくて腸でしょうか。後の触診でほんとの震源地はもう少し右脇腹の方だと分かりますが、最初は真ん中が痛いと思っていました。

食事を終えてすぐだったこともあり、この時は完全に食あたりを疑っていたので、お通じを頑張ってみたり、口に指突っ込んで吐いてみたりしました。結構戻せたものの痛みは全く改善せず。

 

正露丸の手持ちがなかったんでひたすら我慢することにしたんですが、ズキズキでもシクシクでもなく、強弱の波もなくずっと痛むのってそれなりにつらくて、夜中の2時ごろにコンビニに薬を買いに行ったりもしました。

そのまま横になってても痛みで眠れないし。

残念ながらコンビニには正露丸はなく、代わりに整腸剤買ってきたものの、案の定効かず。薬局の開く11時くらいまであと8時間以上かあ…と痛みに耐えながら寝っ転がってました。

 

近所で時間外診察

iPad電子書籍やネット見ながらひたすら耐えていましたが、朝の5時くらいにもなると、謹厳実直な公務員のように休みなく、激しくなることもなく緩むこともなく続く一定の痛みによる責め苦が耐え難くなってきました。

この頃になって病院に行く発想が生まれます。

夜間外来を避けるために朝まで待つことも考えましたが、1/3(土)なのでいずれにしろどこも休診で時間外診察になるのは同じだし、すでにこの時点で痛み始めてから7時間経過していたので、朝まで4、5時間耐えるのは正直厳しくなっていました。

もしかしたら胃洗浄とかやるのかなーとか思いつつ、近所の救急指定の病院の電話番号をネットで調べ、かけてみます。

出たのは当直と思しき男性で、控えめに言っても遠まわしに受診しないでくれって論調でしたが、まあそこはなんとかなだめすかし、受診したい旨を伝えて歩いて病院へ向かいました。

出てくるのは研修医か何かかなと思っていましたが、現れたのは民間企業なら定年過ぎてるかな~ってくらい、結構お年を召したベテランのお医者さん。「ブラックジャックによろしく」によればこういう時に現れるのは研修医のバイトと相場が決まっているのですが、正月はさすがに帰省しているんでしょうか。残念ながら夜間診察だと検査の機材を動かせないとのことで、問診と触診のみ行いました。

この触診で右脇腹の痛みを訴えたんですが、あまり重要と思われなかったのかよく聞こえていなかったのか、スルー。よく原因分からないからこれ飲んどいてね、と「ブスコパン」という薬を出してもらいました。

胃腸の鎮痛剤としては非常にメジャーな薬のようです。

「この薬飲んでも痛みが引かないようだったら、もう少し大きい病院に行ってね。うちは明日の1/3も休みだから、朝になってもこれ以上の診察できないから」と言いつつ、お医者さんは近くの大学病院の名前を挙げました。

本来ならレントゲンなりでいろいろ検査したいところだけど、休診日なので放射線技師さんなどが出勤しないとかそういう話のようです。

三が日だし、仕方がありませんね。

もらった薬をすぐに飲み、時刻を記憶しました。

5時33分。

 

はっきりとは言いませんでしたがこのお医者さんの口ぶりでは、どうも食あたりではなさそうでした。そうであれば通常は吐き気なり下痢なりの症状で表れてくるもののようです。

だとするとなんだろう・・・

もらったブスコパンは効かなさそうな気がしてきましたが、しばらくは効果が出るか様子を見る必要があります。

とりあえず1時間待てばいいかなと6時30分まで待つことにし、その間症状から想定される病気を検索してみました。

候補として出てきたのは胃潰瘍や十二指腸潰瘍。原因はストレスなどのほか食生活。

痛み止めに関する専門家っぽい方のコメントも見つけました。

ブスコパンなど鎮痛剤を飲んでも効かない場合、消化器自体が炎症を起こして痛みを発生させている可能性が高いです。胃腸そのものに炎症がある場合、当然ですが鎮痛剤はまったく効果がありません」

まじかー。ストレスに覚えはないけど胃潰瘍かな~と考えていたころ、6時半を過ぎました。

痛みはまったく引いてません。ずっと同じ強さで波も強弱もありません。飲む前と同じです。参った。

 

大学病院で時間外診察

ここで近所のお医者さんのお話の通り、救急指定されている大学病院に診てもらうため、電話をかけました。

出たのは20代半ばくらいかな?って感じの若い男性。

朴訥な感じで抑揚なく淡々と症状を聞いてきましたが、近所の病院ほどではないけれど、「時間外で体制整ってないから満足な検査や治療できないよ」ってニュアンスで、暗に受診を見送ってほしそうです。

「朝まで待って通常の受診時間帯になれば体制整うからそれまで待てってことですか?」って聞いたら、今日は三が日で休診日なので、あんまり変わらないという返答。うーん、なんだかなあ。

この時点で痛み始めてから9時間ほど経過しており、結構憔悴していましたが、時間をおけば回復するようなものではなく、医者の診察が必要な事態だと強く認識していました。

だって9時間もずっと同じ痛みが絶え間なく続いてる訳ですからね。

なので押し切る形でとにかく受診させてほしいと伝えて電話を切り、急いで支度して外に出ました。持ち物は財布とスマホのほか、なんとなく長丁場になるかもしれないと思い、モバイルブースターも持参。

先月末で退職しており、国保や任意継続への切り替えもまだできていない無保険状態だったので、念のためと思い20万円ほどATMで下ろしてからタクシーに乗りました。

 

時間外診察入口から入って受け付けすると、しばらくして救急室に通されました。

時刻は7時30分ごろで、患者は私だけ。

救命病棟24時」によると救命は常に殺伐とした空気に支配され、心電図や心拍数を表示するモニターの電子音がBGM代わりに鳴っているはずですが、意外にも町医者の診察室風です。医者の机と椅子があって、患者用のあの背もたれのない丸い椅子があって、傍らには診察用の簡易ベッドがあって。

正月は暇なのかなーとぼんやり考えていましたが、実は救命救急センターはもう少し奥に専用の施設として増築されていて、私が受診したこの救急室は今はそこまで緊急性の高くない患者や、時間外の診察のために使われているようでした。

出てきたお医者さんは20代半ばの男性で、多分電話の相手の当直医。

「ブラックジャックによろしく」によるとこういう時に出てくるのは研修医のバイトと相場が決まっているのですが、どうやらそうではなさそうでした。後ほど雑用を命令されたらしい研修医の世話になるのですが、彼らは名札のところに「研修医」って書いてあったものの、この若い当直医にはそれがありません。

だとすると若く見えて30前くらいなのかな?

声のイメージそのままで学者然とした風貌。抑揚のない声で静かに淡々と問診します。多分一度はうらなりってあだ名つけられたことがあると思います。

私はと言えばもう割ときつくなっててお腹押さえてうずくまるようにしていて、控えめに見ても結構つらそうに見えたと思うんですが、特に心配そうにするでも気を遣ったりするでもなく、非常に細かい事まで微に入り細に入り質問してきます。手順書読み上げるような調子で。

感覚的には30分くらいだけど、実際にはせいぜい5分か10分くらいなのかな?

やたら細かくて長い問診に、さすがに温厚な私も、この新米めー、そんなことまで聞く必要あるんかーとやり場のない痛みから精神的な余裕をなくしつつありました。

やっと問診が終わり、「じゃ触診しますんでそこ寝てください」と診察用の簡易ベッドに。

ここで聴診器あてたり指でお腹押したりするんですが、ここからはなんかえらい的確でした。

おへそから15センチ右、10センチ下あたりをぎゅぎゅぎゅーと押されて痛いと伝えると何やら得心が言った顔をし、一応念のためと言った感じで他の部分も押してみて痛くないのを確認すると、あとはこの部分を再度確認してきます。

「指をぐーっと押し込んだときと、押し込んだ後で指を離すとき、どっちが痛いですか?」

後者と伝えるとうむうむと頷きます。ほんの少しだけ表情が変わって何らかの手ごたえをつかんだ様子です。ちょっとだけ頼もしく感じてきます。診察は終わり。採血したあとレントゲンやCTを撮ることになりました。

CTは造影CTという奴。この時初めて知りましたが、造影剤ってのを点滴を利用して血液に流し込み、CTでより見やすく撮影するものらしいです。

造影剤は体温よりちょっと温かいくらいなので、点滴での投与をやると、お湯に浸かったような不思議な感覚を体験できました。文字通り体の中から温まる感じ。

造影剤には副作用もあるらしく、造影CT取る前に同意書書かされたんですが、温まった以外には特にこれという症状は感じませんでした。

この時点で多分8時から8時半くらいかな?

電話で問い合わせたときには満足な検査できないようなこと言ってた割に、レントゲンもCTも撮れるのはさすがに大きい病院だったからなのかなあ。

明らかに白衣に着られてる研修医に道案内されてレントゲンやCTを撮り、また救急室に戻ると、いつの間にか看護師や医者がかなり増えてました。

医者のほとんどは研修医でしたけれど。名札にそう書いてありました。

 

簡易ベッドに横になって待っていると、何度か気絶するようにうたた寝してしまいました。

あと、採血だか点滴の針を刺すのを研修医に一度失敗→やり直しされました。そういやあいつ謝んなかったな。

10時過ぎになると、診察してくれた若いお医者さんとも、所在無げにその辺うろうろしている研修医とも明らかに違う、30代前半と思しきお医者さんが現れました。

ちょっとがたいもよくて色黒で、体育会系な雰囲気です。違う場所で職業当てクイズやったら10人に8人はガテン系だと答えそうな風貌です。多分大学のサークルの飲み会では、3年生にもかかわらず真っ先に一気とかしてそうなタイプです。

白衣ではなく青い作務衣っぽいのを着ています。自信と経験に裏打ちされた力強い声です。

「検査して分かりましたが、虫垂炎、盲腸でした。切らなきゃ治らないんで手術しましょうか」

「え、今からですか?」

「ちょっと準備がありますが、12時くらいからやります。その後そのまま入院ってことで。入院期間はだいたい1週間くらいです」

これまた急展開です。即断即決です。手術とか入院とかってこんなにあっさり決まるもんなんでしょうか。

「指をぐーっと押し込んだときと、押し込んだ後で指を離すとき、どっちが痛いですか?」

お腹をぐりぐり押しながら、当直医と同じことを聞いてきます。後者の方が痛いというと「離すときの方が痛いのは、盲腸の炎症が広範囲に広がってる証拠なんですよ。切んなきゃダメっすね」と言います。

どうやらあのうらなり当直医は、痛みを訴える位置で盲腸だとあたりを付け、痛み方で手術が必要なレベルと考え、所見を確実なものにするために必要な検査を行い、この作務衣医者に引き継いだようです。

後でわかったんですがこの外科医丸出しの医者は消化器外科の先生で、盲腸の手術は専門分野にあたるみたいなんですね。

うらなり先生はちゃんと問診と触診で適切な医者を呼んでる訳で、プロの仕事を垣間見た一種の清々しさを感じつつ、胃潰瘍よりマシだったかなー、でもそのまま入院すると仕事とか困るなーと考えたりもしながら、まあ切んなきゃいけないなら仕方ないよねとその場で同意し、手術準備に入りました。

 

手術

車いすに乗せられ、まずは4階にある病室に連れていかれました。

HC室と呼ばれるナースステーションのすぐ横に位置する病室で、術後など重点的に経過監視が必要な患者を収容する場所のようです。

手術と入院に必要なものとして丁字帯とか術後腹帯とか浴衣とかストッキングとかあるんですが、これらは看護師さんにお金を渡して買ってきてもらいました。

丁字帯はふんどしみたいな代物で、パンツの代わりに使います。二つ必要。

術後腹帯は文字通り手術後に使う腹巻のようなもので、お腹を保護するために使います。ひとつ必要。

浴衣は寝間着替わり。術後はいろんな管がついており、帯を解くだけでお腹を確認できるので、パジャマよりこちらの方が良いようです。

ストッキングは膝下までのタイツのような長い靴下。野球のストッキングが近いです。足に血がたまりにくくなるように履く、と聞きました。たぶん。

実際にはストッキングだけではなく、膝下を覆うマッサージ器のようなもので間欠もみほぐしを行い、合わせ技で血がたまらないようにしていたようです。血栓とかを懸念してるんでしょうか。

手術中は浴衣ではなく簡単に脱げる手術着を着るんですが、これはレンタルだったかな?

盲腸の手術と言えば毛を剃られるって話が有名ですが、ご多分に漏れず剃られました。下腹部だけ。

あと、酸素マスクつけるからってことで髭も剃らされました。

実際には酸素マスク以外にもいろんな管を口に突っ込んっでテープで固定するので、髭があるととてもじゃないけど・・・ってことのようです。

ほか、手術にお決まりの同意書を数通。

同意書と同時に、レントゲン写真(CTかも)を見せながら作務衣先生が手術の説明をしてくれました。

「虫垂って腸からちょろっと出てるちっさな器官なんですけど、そのつなぎ目のところに石が詰まってるんですね。そのせいで本来だったら液とかが腸と行き来するのにそれができなくなって炎症起こしてるんス。レントゲンのこの白いのが石っス」って感じで分かりやすく教えてくれます。

緊急連絡先となる実家に作務衣先生が連絡してくれていたので、私からも事態説明の電話を手短に。

そんなこんなで準備していると時間が経つのはあっという間で、12時半頃に再び車いすに乗せられ、看護師さんに押してもらいながら手術室に向かいました。

 

手術部があるのは2階。

このあたりからは麻酔のせいか、ほぼ徹夜状態だったせいか少々記憶が曖昧です。

手術室前まで行くと、6名くらいの男女が待機していました。

執刀医や麻酔医が、ひとりひとり腰をかがめ、きちんと名を名乗って挨拶し、どんな風に手術を行うのか分かりやすく説明してくれます。

総じてとても懇切丁寧で、偉そうな感じとかはまったくなく、むしろ下手なくらいです。説明の内容そのものは非常の簡単なものですが、患者に理解してもらい、不安感をできるだけ取り除こうという意識をとても強く感じます。

医者というよりはちょっと高級な飲食店の店員さん的な物腰と丁寧さ。大学病院って接客面ではあんまりいい話を聞かないことが多かったんですが、作務衣先生といい病棟の看護師といいこの執刀医や麻酔医といい、ここまでのところそういった予断を悉く裏切ってくれています。

あ、うらなり先生のアレはたぶんああいう個性なんだろうと思います。

 

「それじゃそろそろ」と手術室に入ります。現地集合の飲み会で、予約の時間になったのでお店に入るのと同じくらい気軽で無造作です。

周囲の医師陣は会った時にはすでに済ませていたのでしょうが、患者自身は消毒的な術前儀式は何かないんでしょうか。精密工場にあるようなエアシャワー室(四方八方から強い風吹きつけられて粉塵を落とす)通るとか。後で聞いたら手術前にお風呂入ることもあるらしいんですが、消毒はやった覚えがありません。忘れちゃっただけかな?

手術室の広さは50平米ほど。無影灯は二個なんだなーなどと考えながら手術台に横たわりました。背中があったかいです。床暖房的な感じで温めてありました。最近はウォッシュレットだって節電で最初は冷たいので、なかなかの気配りようです。

背中がひやっとしてびっくりしてぽっくりでは洒落にならないので、気配りというよりは医療上必要なのかもしれませんけれど。

 

麻酔は全身麻酔。盲腸だと全身麻酔が普通なのかな?

麻酔と言えば酸素マスクに流し込まれる笑気ガスって認識だったんですが、これ単体ではなく、なにやら背中に針をさしてどーたら、と説明されました。硬膜外麻酔ですよねこれ。「チームバチスタの栄光」で使ってた麻酔かなー、いやだなーなどとぼんやり考えていました。

手術台に寝るとまず、背中を丸めて足を抱えるように横を向いて寝転ぶよう指示されました。さっそく硬膜外麻酔をはじめたようで、麻酔医が背中の方で針を刺していました。ちくりとはしますが、特に痛かったりとかはありません。

針を刺し終えると仰向けに戻り、手術着を脱がされ(寝たまま紐をほどくだけで簡単に取れるようになってます)、マスクをつけられて執刀医や麻酔医と二言三言言葉を交わします。

・・・交わしたはずですが、このあたりで入眠したのかぼんやりした記憶は途切れ、気づくと手術が終わっていました。

麻酔医に名前を呼ばれ、朝の目覚めのように割と瞬間的に意識が覚醒しました。

同時に、喉にたくさん詰め込まれている何かの管で嚥下できない状態が苦しくて、ちょっとパニック気味に。

すぐ外してくれて事なきを得ましたが、あれって起こす前に外した方が良いんじゃないかなあ。

車いすを押してくれる執刀医に聞いてみたところ、かかった時間は1時間半くらいだったそうです。

 

術後

手術を終えてHC室に戻ると、当たり前ですが術前と違ってお腹の痛みがないことにまず感動しました。

結局半日以上盲腸の痛みに苦しめられていたので、その痛みがなくなった解放感が非常に強かったんですね。

当然術後すぐは麻酔もまだ効いているうえ、痛み止めの点滴も投与されているので、盲腸を切った痛みもありません。

折からの寝不足もあり、こんこんと眠り続けました。

身体を起こしたり寝返りを打ったりするのは禁止されていたので、起きていたにしてもあまりできることはなかったんですが。

手術から戻ったのは午後2時ごろでしたが、寝ては覚め、寝ては覚めで気づいたら夜になっていました。

 

HC室にいる間(術後24時間かな?)は2時間に一回検温と血圧測定をやりました。

私は平常時の血圧は上が90代後半、下が60代後半と普通より低め。この時も平常時と同様の血圧で推移していました。熱は盲腸のせいか手術のせいか、38~39℃あたりをふらふら。

私は異様に高熱に耐性があるのでこのくらいでもちょっと火照ってるなと感じるくらいで具合悪くはないんですが、夜間の経過監視を担当したベテラン看護師によれば、あまり好ましくはないようです。当たり前か。

解熱剤投与したいけどそのためには血圧が低すぎるってことで、血圧を上げるために点滴から投与されていた痛み止めをカット。

「ちょっと痛いかも。ごめんね~、あんまりひどいようなら言ってね」って脅されて少々びくびくしましたが、確かに痛みは出るもののちょっとチクチクするな、くらい。もっと痛い盲腸の痛みを半日耐えていたので、このくらいはへっちゃらでした。余裕で眠れるレベルです。

痛み止めには降圧効果かなにかがあったんでしょうか。血圧も無事110程度まで上昇したので解熱剤を点滴から投与。その後無事に38℃を切る程度まで下がりました。その後も数日は38℃近辺をウロウロするのですけれど。

 

看護活動の一つに、清拭というものがあります。「せいしき」と読みます。

患者にいう場合は伝わりやすいように「体拭き(からだふき)しますね」とか言ってくれたりします。私が入院した病院ではだいたい10時くらいにやるようでした。

一般の病室に移った後は手の届かない背中以外は自分でやる必要があった(お湯を入れたバケツを配ってくれるだけ)のですが、HC室にいる間は身動きできません。

なのでうら若い看護師さんが大き目の洗面器とタオルを持ってきて、全部やってくれます。うーん。看護師さんってすごいなあ。。。

清拭とは別に、晩と朝に顔拭きと口濯ぎも来てくれました。これはなんていうんだろう?

一通り顔を拭いてくれた後、医療用の水飲み器(吸い飲み)にモンダミンがちょっとだけ含まれた水で軽くうがいさせてくれます。洗顔と歯磨きの代わりかな?

この二つをやってくれると、だいぶ体がすっきりして気分が変わりました。こういう、治療行為そのものではなく患者の世話に近い看護活動って、患者の気持ちに寄り添う部分が大きいです。いやほんと、看護師さんの働きぶりには頭が下がります。

お年寄りの入院患者が「ぜひうちの孫の嫁に」などと言い出す気持ちもよくわかります。

ここの病院の看護師はそんな素振りは見せないものの、一般的に看護師はかなりストレスフルな仕事で、職業意識は押しなべて高いものの本音の部分は結構ドロドロしてる方が多い気もしますが。。。

今まで会った看護師が軒並み「仕事中のあたしは女優なので(患者さんにはいつも演技で優しくニコニコ振る舞ってるということらしい)」「この辺から声出てるので(頭上に手をかざしながら。地声より高い声で患者に接しているらしい)」とか言うような人ばっかりだったし。うちの姉も看護師だし。

 

結局、何の略称なのか最後まで不明(聞いとけばよかった)だったHC室には、術後24時間ほどいました。

日勤の担当看護師に「そろそろ普通の病室いこっかー」と軽く案内され、車いすですぐ隣の8人部屋へ移動。まだ1/4の日曜日で、おそらく一時帰宅できる入院患者はお正月で出払っていたのでしょう。その大部屋はがらがらで一人しか入っていませんでした。

 

 

あほみたいに長くなってしまいました。

気が向いたら以降の入院生活についても書きたいと思います。

退職のお知らせ

ブログの初エントリが退職エントリというのアレですが、ご報告も兼ねて。

2014年12月末で、株式会社パソナテックを退社しました。

2015年以降はJob-Hubの社外の技術顧問的な立場で若干関わるものの、基本的にはフリーランスとして活動を開始する予定です。

在職中にお世話になった方々には、この場を借りてお礼に代えさせて頂きたいと思います。

ありがとうございました。

 

在職中の肩書は特にありませんでしたが、クラウドソーシングサービス Job-Hub の4人目の立ち上げメンバーであり、最初の社外からの参加人員であり、最初の開発者だったので、実質的な役割は開発リーダーでした。

こう言ってしまっていいのか悩みますが、スタートアップの CTO とか開発責任者とかに相当する立ち位置でWebサービスの開発に従事していました。

 

入社時の経緯

以前は株式会社パソナテックから派遣社員として開発者をしていました。

長く続いた派遣先が満了になり、次は正社員狙おうかなあと派遣案件を断りまくりながらゆるーく就職活動していた時に、お呼びがかかりました。

最初はしょっちゅうくる派遣案件の紹介かと思ったんですが、「詳細は言えないけど派遣じゃないよ。自社案件だよ」というので正直めんどくさいなと思いつつ行ってみました。この時はじめて丸の内がどこにあるのか知りました。

行ってみたらJob-Hub(当時はコードネームで呼んでました)のプロジェクトのプレゼンを見せられ、チームメンバー3人に紹介され、ぜひ来てください、待ってます!という歓待で少々驚いたのを覚えています。

思えば面接らしいことをまったくしていないのですが、派遣時代の評価が非常に良かったらしく、CA(キャリアアドバイザー。派遣社員と派遣案件のマッチングをする人)からお勧め人材として上がってきていたようです。

仕事はもちろん真面目にやっていましたが、その内容をきちんと評価していただき、次の仕事に繋がったという点では特に嬉しい経験でした。

派遣先企業の皆様および担当営業、担当CAの皆様、本当にありがとうございます。

 

やったこと

開発者として、サービスの発展につながりそうなことはすべてやってきました。

  • 画面設計
  • テスト設計
  • 仕様設計
  • システム設計・導入
  • 機能開発
  • 運用管理・監視
  • 障害対応
  • ユーザサポート(一次対応、二次対応、ヘルプページ作成)
  • 営業活動(営業の企業同行)
  • イベント参加(プレゼンやLT登壇、交流会)
  • マスコミ取材対応
  • ブログ執筆

私が加わった時点でどういう機能をリリースするかの骨子は決まってはいたものの、立ち上げから関わっていたため、全機能の9割以上を設計しています。

そのため仕様を一番深く理解しているので、勢い開発だけでではなくユーザサポートの元締め的な役割も兼ねていました。

設計では仕様設計(どの機能がどんなふうに動くか、詳細設計の数歩手前レベル)のほか、画面設計も文言作成(画面上の文言やメールの文言)も行っています。

ユーザサポート分野ではヘルプページの作成や文言チェック、問い合わせ対応(一次、二次)とメール文言チェックという感じです。

 

Ruby/Railsを習得していなかったこともあり、実際の開発業務を本格的に始めたのは在職後半になってからです。

それまでは上記の設計やサポート業務のほか、開発周辺業務ではややインフラ的なことをやっていました。

ルートドメインを使用できるようにDNS関連の設定をやったり、asset_syncを導入して静的ファイルをS3に流すようにしたり、CloudFrontを導入したり、carrirewaveの設定その他の見直しをやったり、herokuのアドオン見直しや設定変更をやったり、Unicornを導入したり、Webフォントを導入したり、gzip圧縮できるようにしてみたり、パフォーマンスチューニングをやったり。

本格的にコーディングするようになってからの機能開発は、仕様把握が必要でロジックが複雑になる中規模以上のものや、パフォーマンスチューニング系を中心に担当しています。

一括配信系とか、お金周り全般とか、一覧表示とか、大まかにいうとそういった機能です。

 

この辺の深掘りはまた別の機会にでもやりたいと思います。

ノウハウの多くはQiitaに投稿しています。

 

運用面はherokuのアドオンにかなり依存して楽できていましたが、newRelicとにらめっこしてパフォーマンスの問題や要改善個所を洗い出したり、PaperTrailのログから異常の兆候を監視したり、AirBrakeが知らせてくれる例外検知から障害切り分けを行って他の開発者に対応依頼をしたり、自分でバグを直したりってのは土日などの休日も含め日常的にやっていました。

アドオンのほかはherokuのニュースレターのほか、facebook経由で対応が必要な有益な情報が届くことが多かったので、このあたりのチェックも合間合間にやっていました。

HeartBleedとかアップデートが必要なgemとか、そういう情報ですね。

 

 得られた経験

非常に多くの貴重な経験を得られました。

この点、株式会社パソナテックには非常に感謝しています。

大企業の新規事業なので狭義のスタートアップの定義からは外れるものの、小さいチーム内でほぼ完結していたので、世の中のスタートアップに近い経験と、それとは別視点の経験が得られたと思っています。

人材業の会社であるため、開発者不足の現状を実感し、俯瞰した位置で知ることができたように思います。

あくまでJob-Hub専業ではあったのですが、他部署に協力して自社開催イベントに参加したり、開発者マッチングにアドバイスしたり、人材採用に携わったりすることもできました。

 

プレゼンやLTのような人前に立って話すのもそれまでは未経験で、正直苦手で避けたくてたまりませんでしたが、サービスの宣伝のためと思い何度かこなしています。

最初は不安でチームメンバーに着いて来てもらってたりしていましたが、今ではそこそこ慣れてきて、もっとしゃべりたいなと思うようになりました。

人見知りで慣れていない人と話すのも苦手なんですが、各種イベントに参加し、交流会で名刺を配って、少しでもサービス名を広げられればと頑張っていました。

こちらもずいぶん慣れたものの、やっぱり話しかけるのにまだまだ踏ん切りがいります。

 

プロジェクト参加以前はRubyRailsもGitも使えず、herokuもAWSも使用した経験がなかったので、技術的な進歩も格段のものがあったのですが、やはり貴重な経験という面では開発者としての横方向の広がりのようなものが大きかったように思います。

Webサービスのスタートアップ界隈というのはやはり相当に異色だと感じます。

3年3か月の在職でしたが、特にサービスリリース後の2年間の経験は濃密で、それまでより倍のスピードで時が進んでいるような感覚でした。

楽しくもあり辛くもある時期でしたが、この時期に出会えた皆様、お力添えいただいた皆様のお蔭で乗り切ることが出来たように思います。

 非常に充実し、力を尽くしてやりきった感のある3年3か月でした。

 

今後のこと

前述した通り、しばらくは引き続きJob-Hubの技術顧問的なお仕事を引き受けつつ、フリーランスとして活動していきます。

不慣れなことも多く、ご迷惑をおかけすることもきっとあるだろうなと思いますが、繋がりのある皆様におかれましては、引き続きお付き合いいただきますようお願いいたします。